(有)ライトデザイン代表取締役
小嶋英俊(こじま ひでとし)
1953年8月生まれ
青森県弘前市出身
高校卒業後、本田技研鈴鹿工場に入社、同時に鈴鹿レーシングに入部しロードレースを始める。
国際A級昇格後、鈴鹿レーシング部長などを務めた後、退社、ヨーロッパ修行に出たらしい。帰国後、有限会社ライトデザイン設立。
レース用バイクのエンジンやマフラーの改造を主な業務として、大手メーカーの仕事を請け負う。
1986年にエンデュランスレーシングに所属していた井形マリ(当時国際A級125CCクラス)にメカニックを頼まれ
1987年にメカニックとして全日本選手権をまわる。
その年の第一戦より好成績を収め話題をまき、マシンの出来は最上であった。8月の筑波大会では予選で
ポールポジションを得て(決勝は予選時の転倒で不出場)、マシンの完成度に磨きをかけた。
以後、ライトデザインは、井形マリのあと妹の井形ともが全日本選手権に出場、3年後に世界選手権まで送り出した。
現在も同様の改造を行っており、その信用はレース界で定着し優秀なエンジニアとして名を馳せている。
《井形マリさんに聞いた、小嶋さんってどんな人?についてのコメント》
とにかく、自由な発想な人。束縛しない。男とか女とかあんまり分けない。冷静でおだやか。今までに声を荒立てているところを見たことがない。
人にやさしく自分に厳しい。・・・・・とべた褒めはまだ続くのでこの辺で。
お酒と海産物(刺身等)が大好きとの事でした。
そんな小嶋さんの人生の記録の詳細は下の画像からどうぞ。
《小嶋の記録》
(有)ライトデザイン
井形マリ(いがた まり)
1958年3月生まれ
東京都文京区生まれ、練馬区で育つ。小・中・高校と特に目立つ事もなく成績も普通、ごく普通のスポーツ好きな女性であった。
中学・高校時代はテニス部に在籍。
妹のともとは二人姉妹、年が8歳も離れていたせいか、幼い頃一緒に遊んだ覚えがあまりない。
行動を共にし始めたのは、ともが高校に上がりマリが全日本選手権に参戦していた頃からである。
ともは姉の背中を見て育ち、順調にレーサーとして成長し、世界へ飛び立つ事に成功した。
《小嶋英俊さんに聞いた、マリさんってどんな人?についてのコメント》
単細胞の犬人間みたいなヒトって事になるんですが・・・
ウーマンリブという言葉は すでに死語でしょうが、男の世界、特に命の懸かる勝負の世界に
女が入り込む事は 体力
技術 以前に、その世界で対等に扱われるまでには男には分からない 想像以上の苦労があったはず。
実力で結果を出す以外
認めてもらう方法は無かったはず。
冷静に状況を見極める力があるからこそ
成せた事でしょう。
そんなマリさんの人生の記録の詳細は下の画像からどうぞ。
《マリの記録》
お二方、コメントありがとうございました〜
|